【秋葉原の昔、失われた風景 第2弾】秋葉原デパートの実演販売、やっちゃ場周辺の大食い食堂、リーダー山本長蔵って誰?、消えた2つの万世橋駅、万世橋の謎の小部屋など
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- Опубликовано: 4 окт 2021
- 秋葉原の失われた風景について、第1弾で盛り込めなかった内容を追加しました。
秋葉原デパートややっちゃ場がなくなった影響で、実演販売や大食い食堂もなくなるなど、消えゆくものの連鎖が垣間見えます。
電気店の衰退に抗うヨドバシakibaやサトームセンの出店、露天商がひしめいていた秋葉原に秩序を築き、身体を張って治安を守った山本長蔵、その他、廃駅となった2つの万世橋駅や、万世橋の小部屋など、残る遺構についてもお話しています。
【万世橋の小部屋について】
1930年に万世橋に併設されたという小部屋ですが、タイムリーにテレビ番組の「スッキリ」で取り上げられていました。(2021年10月6日放送)
橋の専門家である紅林章央氏のお話では、1923年関東大震災をきっかけに、橋の四隅に「橋詰広場」というものが備えられるようになったそうです。
橋の強度アップのためや、将来の橋の架けかえのためのスペースとして確保し、交番、水飲み場、防災倉庫などに使用されたらしいです。
万世橋の場合は、それが地下に作られているので珍しいとのことですね。
また、ラジオセンターで長年商売を営んでおられる菊池無線電機の菊池隆(91歳)氏のお話では、以前もトイレだったということで、ご本人もよく使っていたそうです。
信憑性は定かではないのですが、トイレであった可能性が高そうですね。
【訂正のご案内】
(ご指摘ありがとうございますm_ _m)
11:07 「日本銀行札幌支店」→「日本銀行小樽支店」
秋葉原第一弾
• 【秋葉原の昔、失われた風景】秋葉原がどうして...
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秋葉原民の声を集めてみました!(サブチャンネル)
• 秋葉原 メイド・ヲタク 狂気の趣都
#秋葉原#昔#懐かしい
サトームセンのCM懐かしい。
夜中にテレビを見ているとよく流れてましたね。
ラーメンいすずは青春の味だったなー。
週末に秋葉に行くのが楽しみで、ショップ巡りやゲーセンの最後にいすずで飲んで食って帰るのが定番だった。
ビールたのむと外に置いてある冷蔵庫から缶ビール出してくれたな。
いい思い出です。
懐かしく拝見しました。ありがとうございました。
私は昭和33年に神田小川町で生まれ25歳まで住んでいたもので、この辺りも子供の頃からの遊び場でした。ラジオを作り、アンプからオーディオを作り、その後、アマチュア無線からマイコン→パソコンと、常に通ってました。おでん缶は食べたことがないが…。
私の通っていた小学校は小川小学校でしたがすでになく、今は不思議な公園となっています。その辺りは大学が多く、明治大学や中央大学、日本大学、電気大学と、学食巡りをしたのを思い出しましたw。高校も多かったな。出版社や広告代理店も多かったな。
小川町から錦町、神保町辺りの歴史も見せていただけるとありがたいですが、いかがでしょうか?(*^^*)
神田須田町生まれの自分にとって秋葉原デパートも思い出深い場所です。
今考えると、あんなに狭いデパートなのに迷子になって、いつも一緒にデパートに行っていたおばあちゃんを、館内放送で呼んでもらったのを今も鮮明に覚えています。
2階に上がってすぐにあったレストランでお昼ごはんを食べさせてもらうのも楽しみでしたね。
ラジオストア、ラジオセンター、ラジオデパートができる経緯がとても面白い。
70年代から80年代は賑わっていました。
秋葉原デパート良いね。古き良きデパートの食堂もあって。
喫茶店の古炉奈が懐かしい。あまり客がいなかったけど。
大型の家電販売店が姿を消した後、再開発されるまでのしばらくはトイレに困ったものでした。食べるところもあまりなくてね。
やっぱりアキバと言えば秋葉原デパートですね。飲食店が今みたいに多くないなか、1階で食事をするのが定番でした。
あと、総武線の下りホーム(千葉方面)の改札からデパートに直結していて、あの面倒な駅の階段を使用せずにデパートから外に出ていました。
秋葉原デパート!懐かしいです。
実演販売のおじさんの面白さに、
飽きずにいつまでも見入っていたことを思い出させて頂きました。
人間味の有る時代でした。
市場の中を抜けて勤め先に行ってました、秋葉原の変遷を見てきました、貴殿のよく調べられた動画にて色々と思いだしました、感謝。
2000年に見た秋葉原のカオス感が、何度か来る度に失われていって寂しく感じました。
今の秋葉原はわざわざ来たいと思える感じがしないですね…。
未だにカオス感を残してる大須は本当に貴重だと思いました。
石原都知事のオタク潰しの影響ですね。
新宿は良い方に変わったけど、アキバは東南アジア的なるつぼ感が失われて、すっかり「普通」の街になってしまいました。
昭和末期に秋葉原で仕事してました。 仕事が終わるとやっちゃばの北林酒店で剣菱を呑んでました。 しかし一番の人気は「トマトセット」少輔をコップに満たし缶のデルモンテのトマトジュースをつけるものでした。 うまかった、津軽とも一緒に飲んだ。 やっちゃばの食堂は地下の銅像のそばから入る食堂が有名ですが、2階の食堂もよかったです。 「いしばし」って言ったかな、そこも大盛りでした。
サトー無線のCMが懐かしく楽しめました。
万世橋付近の変化も知らないことばかりで、
色々と新鮮な話しばかりでした。
25年前によく通ってました。実演販売のイメージが頭にものすごく残っています。今は面影がほんの少し残ってる程度。綺麗な街になりましたね。
旧交通博物館から見た旧万世橋駅跡は閑散としてました。ちょうど一番上のフロアが食堂のような、かといって定食を売ってるわけではなく、自販機が並んでたように思います。そこから上に向かう階段があり、その階段から万世橋駅と総武線や中央線が見えたように記憶してます。
4年ほど前に行ったときはすっかりきれいになっていて、どこかうら寂しい感じから激変してました。
広瀬大佐の銅像は軍国主義の象徴として真っ先に撤去されたと聞いたことがあります。時代が変わると、英雄もこうまで変わるんだなと。。ソ連が崩壊した時にレーニン像が撤去されたり、イラク戦争後のフセイン像撤去など、あんな感じなんでしょうね。
昭和60年当時幼稚園児だったが、よく父親に交通博物館へ連れていってもらってた
電車のドアの開け閉め機械、上のでっぱりを下に押したりするやつや、新幹線の時刻表板、数字の板がカラカラ回るやつが懐かしい思い出
帰りは秋葉原デパート一回のお好み焼き、焼きそばセット、カウンター席で椅子が高かった記憶
その後学生の時はバスケットコート付近で休憩したりセガのゲーセンでバーチャロン、バーチャファイターⅣやったり
じゃんがらラーメンよく行ってた
今のアニメ文化からは昔は想像できない
シュタインズ・ゲートも今となっては昔
早いね~
交通博物館は何度も行きました。展示品を見に行くこともそうですが、あの建物が好きでした。
昭和初期までに造られた建物っておしゃれなんですよね。博物館が大宮に移転したことで今は跡形も無くなくなってしまいました。
地下鉄の万世橋駅は仮駅のため神田駅まで延伸された時に廃止されましたが、国鉄の万世橋駅は戦時中に不要不急駅となったため廃止ではなく休止となりました。その後、復活することなく現在に至っているので事実上の廃止と言う感じです。
秋葉原駅デパート 昼休みちょっとぶらっとして実演販売の冷やかしをして、缶入りのダージリン紅茶をよく買ってました。そしてニッチな雑貨小物を買って楽しんでいました、その時のものを今でも使っていいます。もうどこで売っているのかもわからないので大切に使ってます。
あんなニッチな雑貨を売る店がもうなくなってしましましたね、懐かしく拝見しました。
ラーメンいすずで父と食べたラーメンの味今でも思い出せます
毎回いい動画をありがとうございます
他の動画も高品質で日本現代史を学べる良動画です、ありがとうございます。
アキバは2005年に初めて訪れてから、この20年弱で大きく変わってるのを感じます。
しばらくは20時過ぎるとシャッター街で食べるところが無く、お昼だけって感じでした。
ヨドバシ、atre、UDXができ、ラジオ館新装も含めて、行く度に大きく変わって驚きが多い街です。
ラーメンブームとともに食べるところも増えたのが印象的。
2011年に秋葉原を舞台とした「シュタインズゲート」のアニメが放映されたのも大きいと感じました。
50年前にアキバの実演販売でタッパウェアを母が購入しました。とても高級品だったのですが、今では、ダイソーで同様な物が買えますww
40年前によく電材を買いに通い30年前にはPC電材を購入、20年前に行った時にあんなにあった電材屋さんが、みんな、アニオタ専用のテナントになり、音響材料店を探し回りました。秋葉原は客層も変わりました。
秋葉原デパートの1階でキジ丼を売っている店があったのを思い出しました。
あと、四角いお好み焼きのキャベツが柔らかく蒸されていて美味しかったです。
やっちゃ場があった頃は中央通りを朝、運搬用のターレが走り回り、そこら辺りに野菜の切れ端が散乱
してました。食堂は場外にもありましたが市場内の地下にも食堂がありました。
万世橋の小部屋は前からなんだろうと思っていましたが、やはり?なんですね。日本橋にも同じような
構造物があるので真似たのかな?とも思います。
時代の変化に翻弄されながらも生き抜いてきた逞しい街だったんですね。異様なエナジーに満ちた、変わった街だと思っていたましたが、その生命力を感じていたのかもしれません。素晴らしい動画でした。
秋葉原デパート1階のエスカレーター近くで売ってた
四角いお好み焼きが好きだったな。
安くて美味しかった。
コテの捌き方に見惚れました。まさしく名人芸でしたね。
1980,90年代に秋葉原によく行っていたので
交通博物館、万世橋駅の話等
とても興味深く拝見させていただきました
万世橋駅近辺の歴史を辿った内容は大変貴重です。ありがとうございます。交通博物館には複葉機など鉄道以外の乗り物も展示してありましたがあれはもうないのでしょうね。亜土電子があった辺りとか、今もある牛丼サンボとか秋葉原の歴史は語りつくせないと思います。山手線ガード下のニュー秋葉原センターもカオス感がありました。今もあるのかな?水運の玄関口だった昭和通りに近い方には磁気ディスク専門店があり、つい最近までバルクCD-ROMが安かった記憶があります。もっと昔はロビン電子産業など。
気づけば30年前の懐かしい秋葉原。かつての面影もほぼない。綺麗にはなったけど寂しいものです。貨物駅もアキハバラデパートも交通博物館も青果市場も昔の話になってしまった。
前回の動画でもコメントさせていただきました。
ラーメンいすず懐かしい!!
今では面影を残すのは、電波会館ですね。そこもお店が少なくなり寂しくなっています。
90年代は駅前はアングラな雰囲気がありました。
昭和の香りも少なくなってますね。
アキハバラデパートはラジオ会館に比べて地味で知られてない印象があるので今回取り上げて頂いて嬉しかったです。一階の、通路に直接座席を設けた食堂街はなんとも奇妙な景観でとても面白かったです。晩年には2階か3階にガンダム関連商品の専門店も入ってたりで、割と街の変化にも柔軟に対応してました。もっともっと通いたかったです。
いまだにNo.1ラーメンはいすずのチャーシューメンだなぁ…
長期熟成っぽい旨味の濃縮された醤油ベースに相性抜群の生姜の風味がたまらなかった
あれこれ東京ラーメンですよ🍜
大学生の3年間ほどラジ館でバイトしてました。
お昼休みの食事の定番はアキバデパ1階の古市庵
で冷やしたぬきを持ち帰り、100円お好み焼きを
その場で食べるのがマイブームでした。
アキバデパ1階のカツ丼屋のおやじとけんかになり
アキバデパの支配人を巻き込んでもめたのも良き
思い出。
また秋葉原の情報動画を有難う御座います。秋葉原デパートは今は無くなったのですか。私は穴あき包丁の実演販売を見た事があります。上手なトークを続けながら、鋭い刃物を振り回し怪我をしないか見物人の方がヒヤヒヤものでした。でもあの実演販売員はアフターサービスも良かったです。私達が見学していると、購入した夫人が「これキュウリもカボチャも切れなかった。」とクレームを入れてきました。販売員はトークを中断し、テーブルの下からキュウリとカボチャを取り出して「どの様に切られましたか?」とその夫人に包丁を渡して実演台の上のまな板に向かわせました。すると販売員があっと声をあげ夫人の姿勢の傾きと包丁の当て方の歪みを指摘しました。正しく包丁を使った夫人は「あら、本当に良く切れる。」と驚いていました。実際、あの包丁は穴が開いているだけで、普通の包丁職人が作った良い品だったようで定期的に研ぐと切れ味が良かったようです。完売後も「包丁はもうないの?」と言うお客さんがいたようです。青果市場が残っていた頃は、余りの柑橘類でジュースを作り秋葉原デパートの3階改札口脇で、廉価販売していました。とても良い香りで美味しかったです。あと秋葉原デパートは、なぜか毎年年末になると催し物スペースで文房具の安売りをしていました。大学生協で買うよりもかなり安いので、1年分の文具を買い出しに行きました。どう言う訳かステッドラーマルスのロットリングまであって驚きました。当時はパソコンもプリンターも無かったので、論文などの図や式はロットリングで慎重に手書きしていたのです。
秋葉原の飲食はヨドバシ開店前と後とで分かれてますね。
開店前はいすずや駅ナカのミルクスタンド程度しか無かったモノが開店後中はおろか周辺やさらには
UDX周辺などにも波及し今では何を食べようかと考えられるだけの店が出来てます。
なお動画に出ていたあだちは江戸っ子のご主人もさることながら一番小さいすりきりでもおかずの量も相まって
二郎ラーメンのマシマシレベルに相当する量が出てくるので小食の方は出来れば回避が賢明と思います。
ヨドバシ開店といすず閉店じゃ5年ぐらい差があるし、じゃんがらもマンセーも銀蔵も全部無視。
年に一回くらいしか秋葉原行ってなかったのでは?
@@tai10000000000
まー確かに、中華の雁川、牛丼サンボ、関取ラーメン龍軒(いずれも現存)やカレーのベンガル(移転)、などのほかに、マクドナルドとか松屋といったチェーンもありましたし、一時は牛丼どんどん(だるまの目に業態変更)なんていう店もありましたから、全く何もなかったわけじゃないですね。それでも、夜7時以降になると、どこで飯を食ったものかと頭を抱える状態になってしまう感じでしたから、「あの頃は何もなかったんだよなあ」とボヤきたくなる気持ちは良くわかります。
2000年のいすずの閉店は駅前再開発に絡んでのものでしたし、ヨドバシ開店の2005年以降に(前後して再開発が完了したため)飲食店が大幅増加し、件数で言えばおそらく数十倍になったのも事実でしょう。
東京に住んでいるわけではないですが、たいへん興味深く拝見しました。震災前の万世橋駅をこの目で見てみたかったですねえ。
すごくよく調べられていらっしゃいますね。感心しました。
昔はアマチュア無線家のメッカでした。もちろん機械は自作でした。
メーカー品は、トヨムラ、九十九電機、ロケットetc..ロケットは現在も頑張ってますね!
秋葉原デパートはあのカオスさがよかったんだが。高架の総武線口から入るといきなり謎の雑貨屋があるし、各階も謎の店舗ばかり 1Fはスタンド中心の飲食街で、自分はカレーとお好み焼きが好きだった。外付け?のラーメン屋でもよく食べたな。今のアトレは小綺麗だけどある意味無個性。
アキハバラデパートといえば、個人的には丼もののお店・伊呂波。
あそこのカツ丼が、また素朴な味わいでいいんだよ。家庭で作るカツ丼って感じでさ。
ご飯も柔らかかったり硬かったり結構まばらだったんだけど、ちゃんとした店(失礼!)とかチェーン店では食べられない味だったんだよね。
私もよく行きました。できた当初は分かりませんが、晩年は結構手抜きな感じで残念でした。ご飯も別の所から持ってきたりしていたし…😅
@@okachan923
いや、その手抜きなところが良かったというのもありますw 5~600円くらいだったので特に文句もなかったですね。
正直、今美味しさを比べれば、閉店からかなり経って進出してきたかつやにも劣ると思うんですが、なんかこう、それだけでない愛嬌のようなものがありましたね。
@@MB-rd9kj さん
確かに上品ではないが、何か独特の美味しさがありましたね。1Fの店ではいちばん通いました。か○やなんて比較にならない。かつ○は特別旨くないけど不味くもない、と思います。
アキハバラデパートだけで一つ動画が作れそうですよね。自分は1階のタバコ屋で葉巻を買ったり3階の本屋、ユニクロ、改札横のクレープ屋、輸入食材の店など利用しました。
非常にまとまっていて分かりやすかったです。秋葉原は安売りの聖地として子供の頃憧れました。初めて行ったときは秋葉原デパートで迷いました。まるで九龍城砦でした。
すごい。一個人でここまで地域を掘り下げることができるのだろうか。NHKより濃いのではないかw素晴らしい動画でした
らーめんいすずの高評価が多いですが、自分は反対に低評価です。
まず当時は飲食店が少なく、ラーメンはここと末広町駅あたりの2軒くらいしかなかったと思います。
なのでみんないすずへ行った。
確かに行列ができていたこともありましたが、1990年代には行列は消えてあまり客はいませんでした。
その頃は世の中に様々な新しいラーメンが出てきたことと他にも飲食店が増えてきたことが理由として挙げられます。
自分は正直あのラーメンがおいしいとは思いませんでした。(でもまずいわけでもなく350円とかで食べられるなら全然いいという程度)
移転してもすぐ閉店してしまったというのがあまり流行らなかった証拠にもあるのではないでしょうか。
サトー無線は田舎住みでしたので見たことはありませんでしたが、
秋葉原に遊びに行った際は、サトー無線にもより、そのパワフルでノリの良いCMにビックリしたものです。
耳に残るCMってあるんですね。
似たような感じだと名古屋行ったときのデパートでのドラゴンズ応援歌が流れてたくらいですね
秋デバの讃岐うどん、四角いお好み焼き、もう一度食べたいです。ランチで行ったヤッチャバの2階建ての食堂街も懐かしいです。
89年~97年位に専門学校や仕事で東京にいたので当時はよく秋葉原に行っていました。
何年か前に用事で久々にこの辺りに来たついでに懐かしく寄ってみましたが、、、、
「よし!久々に秋葉デパートの一階でカレーかお好み焼き食べてから出よう!」
などと思ったらとっくにデパートは無い上に街も全然変わっていておじさん大困惑。
中学生で秋葉原デビューした頃はまだやっちゃ場だったなぁ。秋月電子が信越電気商会だった時代w
駿台生時代は秋葉原デパート1Fの四角いお好み焼きやら隣のうどん屋さんにお世話になったもんです。
10年くらい前まで古炉奈で買い忘れのパーツがないかチェックしてたもんだけど、今は通販の方が多くなったなぁ。
もう秋葉原独特のアングラ感を醸し出す場所はほとんどなくなってしまいましたよね。
旧ラジオ会館の狭っ苦しいエスカレーターが懐かしいです。ちょっとどこかの路地裏に足を運べば
いかにもってお店も本当になくなってしまいました。
人の流れも時代によって変化していますよね。特にUDXが建てられた後が顕著だと思います。
交通博物館😭遠足で行ったなあ~😉👍️✨。秋葉原デパートも懐かしい時代になったかあ~😭。
秋葉原デパートがぎりぎりあった頃まで、穴空き包丁の実演は続けていた方がいた記憶。
ラーメンいすゞは40年位前、初めて秋葉原に行った時に一度だけ寄りました。
衣類の露店は昔からある紳士服店に名残がありますね。
2007年に初めて秋葉原に行きましたが、そのときの印象は駅前は、工事中だったという印象で、今の開けた秋葉原を見て、そのときが懐かしいなぁと思います
今回はさらにディープ秋葉原ですね、調べる労力に敬意です。
秋葉自体雑多な街でしたが、短期間神田市場でバイトした自分はメシ屋をろくに知らないのですから今更新たな発見がたくさんあって面白いです。
やっちゃ場のあった頃早朝の中央通りは4重駐車が日常というひどい状況で、走れるのが一番右の車線のみ。
数年後新宿に勤めだし、深夜タクシーで帰宅した時、東口前の靖国通りがまさに4重駐車状態でやっちゃ場と重なって苦笑いでした。
もっとも、早朝中央通りは大型トラックだらけに対し、歌舞伎町はタクシーに外車などで全然違うんですけどね。
アンプ部品を求めて東京の大学時代の70年代から2000年代まで出張でよく出かけ、移り変わって行く様子に憂いばかりでした。80年代だったか、ヤマギワ電気の4Fだっだか、シャワートイレに入って使用し、その心地よさにビックリ、こんなものがあるのかと不思議に思ったものです。半導体やアンプの部品屋さんや半坪の電気部品のお店もなくなっていきました。今ではフィギュアやマニア雑誌、メイド喫茶のような文化の街になってしまったのは時代の流れでしょうね。ラジオデパートや高架下の半坪ショップの人達皆んな亡くなっているのでしょうね。ご冥福を!
やっちゃ場が、まだあったころは昌平小学校のあたりにバナナ専門の卸しがあったりしましたね
万世橋の南東側の小部屋は、たしか公衆トイレでしたよ、昭和50年代途中ぐらいまでは普通に使えたと記憶してます
昔の駅などによくあった、横に長い間仕切りの無い立ち小便用の構造になってました
反対側のは、その当時すでに閉鎖されてて使用用途も不明でした
オデン缶に関しては、秋葉原に自販機が置かれたのは、ほかの場所よりも遅れてのことだったんですが
なぜか、いつのまにか秋葉原の名物のようになっちゃいましたね、自分の記憶では秋葉原に置かれるよりも2~3年は早く
新宿の明治通りと諏訪通りの交差点の近く(男性向けメンズマガジンショップの前)に置かれてました
横にオニギリの自販機やたこ焼きの自販機も置かれてました
秋葉原が家電全盛だったころ、家電を梱包していた段ボールを回収するホームレスの方々が多くいました。電気街で段ボールを回収し、神田佐久間町や台東区秋葉原にある業者に売って夜は総武線ガード付近でリヤカーの中で生活していました。
冬の寒い時などリヤカーの中でなくなってしまう方も少なくなかったです。神田青果市場は日曜日は休みなので駐車場として開放されていました。
ダンボールを回収するホームレスの方は、2002年前後まではいたように思います。
ゲームの限定版の発売待ちで徹夜で並んでいたりすると、明け方過ぎに姿を見かけました。
最近は並ぶこともなくなったので、事情がわかりませんが……。
バタ屋ね、結構いたな
電車男前後(2005年前後)に秋葉原で働いていました。
その頃店の終わりに「段ボールはPPバンドで縛って外に置いておけば持って行くから」と教わりました
これがリサイクルって感じでしたね
ホームレスがリヤカーの中で生活して亡くなる?大ウソつくなよ。その人は自分の知り合いだが、普通に、ダンボールハウスで寝てたよ。その人は、そのあと、誰かに拾われて寮生活して引退した。ダンボールおじさんって言われていた。確かなんかの社長だかなんかで、倒産して、ホームレスしていた。頭がまともな方だから何度か救済の手があったが断っていた。そのあと、何があったか知らんが寮生活に入ったと思う。周りからも、まともなんだから、寝ろよ(寮生活しろよ)とよく言われていた。いろいろと知り合いが多かったから、もしかしたら、ほかの人とエピソードが混じっていたらごめんなさいだけどさ。
@@tomoyakamimura
「少なくなかった」って言ってるんだから複数人だよ。
駅前のバスケットコートも懐かしい。
10年ほど昭和通り側の会社にいたので、秋葉原には結構行ってましたが、よくぞここまで調べましたね
前回と合わせて観せていただきましたが、大変面白く、興味深い内容でした
万世橋にかつてあった、廣瀬中佐の像はいつか復刻して欲しいと思っている建造物ですが、やっぱ難しいかな…
リクエストですが、上野動物園の詳しい歴史や、飼育されてきた動物、珍獣を紹介してもらえると嬉しく思います
いすずは毎回秋葉原行く時には常食にしてただけでなく
ラーメンマニアの切っ掛けとなった店なので閉店の噂聞いた時は速効食べに行きました。
面白かったです。万世橋駅の遺構、今度地下鉄で通るときに見てみます
実演販売はシャンプーや洗剤、歯ブラシ等売ってたおっちゃんが面白くて好きだった。
秋葉原デパート前の人だかり実演販売は人間味があって良かったですね!特に私はマジック実演販売で見ながらいろいろ教えていただいていつもいっぱい商品を買っていました!お世話になりました!あの時のおじさんは元気かなぁ?
埼玉から来ていらっしゃってたようでしたが🤔?
秋葉原駅電気街口出た目の前がサトームセンでしたね
その後ヤマダ電機になりツクモになったと思ったら約半年で閉店
今は空き家になってますね
秋葉原デパート1Fはフードコートになる前は魚、肉、野菜を売っているスーパーみたいな感じでした。個人的には秋葉原と言えば青果市場ですね、昭和34年の秋葉原近隣の生まれです。
自分の1番秋葉原の思い出は
津軽さんだったな。
花見の時は上野公園で
酒差し入れして、一緒にのんだり
普段も秋葉原行った時は
酒差し入れしてたな。
亡くなった時は悲しかった。
貴重な画像をご紹介していただきまして、ありがとうございました。
秋葉原は大好きな街なので、どの情報も非常に興味深かったです。
何度も一時停止しながら、全ての古写真をジックリと堪能しました。
万世橋関連の情報については、旧万世橋警察署の解体と敷地の移動、
新たな万世橋警察署の建設(着工年&竣工年)など、万世橋警察署にも
言及していただいていたら完璧でした。もし秋葉原編の次回または
オマケ的な企画動画があるのであれば、万世橋警察署とラジオ会館
(通称ラジ館)とアキハバラデパートの深掘り(その歴史やテナントの
変遷を紹介)をしていただけたら幸いです。
万世橋下の小部屋の詳しい取材がナイスですね。自分も昔調べたけれど内部の写真が見つからなかった気がする
実演販売やTV通販で紹介されるジューサー
「これは使えるマジ健康!」って買っちゃうけど
3ヶ月しないうちに台所棚の守護神になるんだよね…
TV番組みたいクオリティーで楽しめました。
通学に総武線を利用していたので学校が短縮授業とかになると秋葉原でデパート内のDQ(デイリークイーンだったかな?)で軽食を採ってから町へ繰り出すといった流れでした。
地元ではここまで大きな店は無いのでよく石丸へ行ってレコードを見に行ってました。あと、当時BCL(海外向け短波放送)が流行っていたので学生の分際では買えない高級な短波受信ラジオの実機を見に行くのが楽しみでした。ガード下のゴチャっとした感じは現在のアメ横にも通じるところがありますね(それでもだいぶ建て替えがされたので多少変わっては来ていますが)。
いまの秋葉原はだいぶそのころの面影が無くなってしまって残念です。
実演販売は子供の頃、手品を見るのが楽しかった。
当時食べるところが限られていたアキバではラーメンいすずでラーメンを食べてから店をまわった。
やっちゃ場でバイトしたことあります。夜は電気街の大通りにトラックが並び、どこまで出て来ていたかは忘れましたが、ターレ、マイティーも走ってました。真冬の夜勤の寒さで辛く、市場前の立食い蕎麦屋のかけそばの熱さに救われた苦い思い出があります。
万世橋の左右の小部屋は全く気が付きませんでした。このあたりは池波正太郎が好きだった「花ぶさ」「神田まつや」など東京下町の味を守り続けているお店があるので、今どうなっているのか、ご紹介いただければと思います。また、今でも芸者さんが女将をしている酒場が明神下仲通りあたりにあるそうです。色町だったようですが、昔の経緯を知らないのでご紹介いただければと思います。
渡米する為、ラジオ会館の中の小さな店で大容量トランスミッターを購入した。帰国した数年後、秋葉原は流れる音楽共々もすっかり変わっていた。
30年前以上に良くマーフィー岡田見てました
その後はテレビに出てましたね ラーメンと言ったら🍜🍥いすず🍜🍥懐かしい ジャンガラもよく食べてました 秋葉原デパートは蕎麦屋の古いち庵にカレー屋のドール
33年前には秋葉原の中央通りは立体交差にする案がありましたが、結局頓挫してしまいました 秋葉原の雑誌AKガゼットに出てました
ラジオセンターの一階に
ロンブーの良が居ました(多分)
それほどの思い入れは無いから単なる懐古でしかないけど
でも自分にとっての秋葉原は90年代半ばから00年代初頭にかけての姿だったなあ
00年代半ばくらいにメイドの街になってからは殆ど足を運ばなくなってしまった
なんであれ活気のある街であればそれでいいと思うけど
今はコロナでそれすら危うくなっていると聞くのが悲しい
今日の話は一番良かった。
秋葉原は将棋センターへよく行きました。将棋世界に「今度かわいい娘が入りました」と写真付きで広告が載ってました。ついに1回もお目にかかれないままなくなってしまったようです。平成の始めのころですかね。懐かしいです。
興味深く拝見させていただきました
自分が通い始めたのは90年代半ばでしたので思い出にあるのは秋葉原デパートと食い物屋の少なさ位ですが、過去を知れるのはとても有難いです
今年は活気が大分戻って来てて人は多いですが、外国人観光客が減ったので寂しく見えるのかも
ヨドバシでガンプラの量を見て目を輝かせてた海外のお兄さんとか居ましたし
色々言われてますが模型好きとしてはメーカーの試作品、見本品やモデラーの方の作例が直に見れたり、各種材料と用品が揃っているので今の秋葉原は重宝してます
めちゃくちゃ楽しめました。ありがとうございます。
神田川の船着き場は水道橋と飯田橋の間の北岸にあり使われています。(以前、エンジン付きゴムボートでクルーズした際に目視)
緊急事態宣言も解除されましたので散歩しに行きたいですね。
交通博物館は幼き日の思い出の場所です
秋葉原デパートの一階にあった、讃岐うどん屋さんが好きでした
いすずも行きましたけど、現在の万世警察の所が、バナナの室で加工場だと聞いたことがありますね
秋葉原の古いお店の主人が「うちはあめだまからはじまった」。 「アメ球」、進駐軍払下げの真空管のことでした。 そこのお店の棚に「東京通信工業」と書かれた箱がありました。 しかし国際ラジオの廃業は古い部品が手に入らないのでこまったものです。
まんせいばし裏のオーダー紳士服で働いてました。
万世のランチしたな~
今自販機が立ち並ぶ場所は、おじいさんとおばあさんが小さなお店をやっていました。
サンドイッチや、おにぎりを売っていて出勤前に買ってました。
懐かしいです。
34年前です。
反物屋も万世の裏にたくさんありましたよ。
20年位前は友人と原チャリで良く通ってました
まだ駅前の広場がある時代、あの頃が懐かしい
タイムマシンがあったら是非とも訪れたい場所ですよね
凄い懐かしかった。有難う御座います。神田食堂は僕の胃袋でした。w
秋葉原デパート3階にもレストランがあったんだよな生姜焼き定食で980円とか高かったからあまり行かなかったが、レストランの向いが本屋で、後確か2階にも食堂があった気がする、ただ2階の印象は殆どないなあ
小さい頃、交通博物館よくいってたなぁ…懐かしい…
秩父電気の側面に設置してあった『オデン缶』のある自販機、懐かしい。
末期の秋葉原デパートでカツ丼食って、QBハウスで髪切って、ガンプラ買ってた思い出w
そういえば、末期のアキハバラデパートは上でガンプラ売ってましたねw
改装から閉店までの2002~06年の間のようなので、レアな体験だと思いますw
今はatleとしてアイマスのオフィシャルストアがあったりするので、ある意味その頃の流れを受け継いでいるんでしょうか……。
銀座線万世橋駅に関しては以前ブラタモリでタモリさんが入りましたね。
銀座線に乗ってホームが見えるそうです。
個人的には万世橋の話がよかったです。あの橋は石造りで趣があるから好きです。
中がどうなっているのか?とか構造も知れて面白かったです。
懐かしいなぁ。オノデン坊やとシバキ合いしたのはいい思い出。
ラーメンだと秋デパの外にあったミスター珍、それと秋デパ1Fにあったスタンドの丼屋(名前は知らない)でキジ丼をよく食べてたな。
キジ丼、旨かった❗自分もよく食べました😆
私もミスター陳でよく食べていました。数年前までは東陽町に系列店があった様です。FaceBookも更新が止まったままです。
13:18 交通博物館、ありましたね!
17:00 以前、万世橋のあの階段がYahooで記事になったことがありました。
当時を知る人たちが「あの場所にトイレがあった」みたいなコメントを投稿していたように記憶しています。
万世橋の小部屋は『萬世橋橋詰謎施設調査発表誌』という同人誌で、当時の図面や整備根拠となる法律、絵葉書などの多種多様な資料を元に謎を明らかにされてますよ。
いすず懐かしいですね。秋葉原へ行くといすずのラーメンか駅ビル内にあったフードコートでタコお好み焼きを食べるのがルーチンでした。
あー、確かにアキハバラデパートの1階奥の左手にありましたねー。お好み焼き屋というか、
焼きそばやたこ焼き、ソフトクリーム、かき氷など、お祭りの露店で人気のある定番のB級
グルメを単品、もしくはセットにして安く提供している飲食店が。ちなみに、私は焼そばと
たこ焼きの合盛り(セットプレート)を注文し、好んで食べていました。いや~、懐かしい。
バスケットコートがあった頃の話が聞きたかったです!
青果市場の跡地が駐車場になっていて、秋葉原で買い物する際はここにクルマを停めていました。秋葉原再開発で駐車場を潰してロータリーとダイビルを作る代わりに、現UDXとヨドバシAkibaがこの駐車場需要を受け入れる、ということになったそうです。
で、その駐車場の南脇、秋葉原駅の電気街口に面していた部分がバスケットコートになっていました。バスケットやスケボーなんかをしてる人、たまにストリートミュージシャンも居ました。
特に何かのイベントに使用されるでもなく、ただバスケットのカゴが設置してあるだけのちょっとした広場なのですが、駐車場から駅に抜ける近道でちょいちょい人が通るため、「競技場」としてはびみょい謎の場所でしたw
すぐ隣のサトームセンの屋上のビアガーデンが夏の風物詩でした。
万世橋か一本下流の橋かは忘れましたが、そこから下流方面、右側に川側に大きく傾いた古いビルがありました。子ども心に危ないなー...と観ておりました。
秋葉原デパートには改札があって、駅から出るときはそこを通ってた。そして秋葉原デパートがなくなったあと、駅から出る際に大混乱した記憶が...
またビデオ・オーディオ時代には電器店の垂れ幕に「ミニコン(ミニコンポのこと)」とあってそれを見て「ミニコン(ミニコンピュータ)を扱ってるのかwww」と心の中で突っ込んでたなぁ
新橋を見てみたいです。
新生マーケット
松田組等 奥が深いです。
アキハバラデパートの3階にあった回転寿司よく行ってました
懐かしいなぁ
初代電車男のDVD見ると当時はまだあったんだよね・・・